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三滝夏便り(3)見つめる

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※2011年7月24日 広島市西区 三滝寺にて。 ポートラ160VC使用。

ぼくが小1の時、昭和で言うと42年。戦争が終わって22年経っていた。あの頃、母は盛んに戦時中の食糧難の話をぼくらに言い聞かせていた。当時のぼくにとって、22年前なんて、「あまりに遠い昔の話」だと思って、正直、真剣に聞くことができなかった。

自分の人生の4倍近い時間を遡らなければならなかったので、想像力が働かなかったからかもしれない。そんなことは言い訳にならない、というのであれば、今現在の自分の年齢を4倍してみて、その分遡った過去をリアルに感ずることができるかどうか、やってみたら良い。小学生のぼくをかばう訳ではないが、よほど歴史をキチンと学んでこられたか、忘れることのできない歴史を背負った人々でなければ、なかなかできないのではないか。

今年50になるぼくだが、22年前というのは実はさほど「昔」ではなくなっている。28歳と言えば、今の職場で働いていたし、カミさんとも知り合っていたし、あの頃買ったCDを今も聞いている。うまく説明できないのだが、何というか、今の自分とじかに繋がる時間なのである。

今日の正午、全国戦没者追悼式を報じるテレビから「黙祷」の声が流れ、その声に合わせて目をつぶっている母をしばらく見ていた。その時、突然あることに気がついた。ぼくが子どもの頃、両親が話していた「戦争」は、決して過去の話ではなかったのだ。生々しい記憶だから、同じ思いをさせたくない、という気持ちは強くなり、何度も何度も同じ話を聞かせていたのだ。

ぼくは、両親と同じ時間感覚を共有するだけでさえ、45年近い年月がかかってしまった。
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